Author:重箱石
じゅうばこいし、と読みます。
妻と二人暮らしです。
ペットショップとリサイクルショップを経営しています。徐々に売り上げが落ちてきたところへ、東日本大震災、三陸大津波で多くの常連さんを失い、弱り目に祟り目状態ですが、当店を必要としてくれる方が居る限り、自分も逝くまで続けます。
2011年3月11日の東日本大震災を境に、私達の人生が狂いはじめました。大津波の来ない内陸部でしたが翌日、兄を心筋梗塞で亡くしました。当時、電気無し物資無しカネ無し貧乏で、ろくな弔いもできませんでした。
その後、私は若い頃の不摂生な生活、偏った食生活が祟り、重症肺炎、心筋梗塞、心不全、糖尿病、高血圧症、眼底出血、大腸ポリープ、大腸ガン、脳内出血、白内障、硝子体出血などと、生活習慣病と言う病気が次々発見発症!入退院を十数回・・・三途の川も渡りました。昏睡状態が続き生死の境をさまよいましたが、御先祖様に返されました。
次々と見つかる病気を、死ぬ想いで摂生し克服し、病院通いをしながら、その辺の草や昆虫を食いながら細々と生きています。
認知症要介護5の母親を平成29年3月に送りました。これで、自分の両親・兄、妻の両親を見送り子供としての最低限の使命を果たしました。
自分は、奥様より3日先に逝く事。逝く瞬間、奥様に感謝の言葉を言う事。そして、あー面白い人生だったーとオヤジギャグ言いながら笑いながら逝きたい。
東京に就職した子供達は居ますが、帰ってきてほしいですが満足な仕事も無いし、東日本大震災で福島原発が壊れた際の放射能が遠く離れた我が岩手県南部に降り注ぎました。政府・東電は全く満足な補償をしません。
親として、こんな汚染された所へ胸張って、帰って来いとは言えません。
こんな苦しみと悲しみを、二度と誰にも味わってほしくありません。だから、日本国内・世界から原発・核兵器が無くなってほしい。
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